ねこばたけ掲示板

8075

SS - 名無しさん

2023/06/11 (Sun) 14:51:32

のどかな日曜日の朝。

町にある宿屋の、レスト一行の部屋のドアを叩く人があった。

「レスト―!早く開けるッス―!」

「?この声は…」

クロムがドアに近づいて、そろそろとドアを開けた。立っていたのは、ニャーコだった。

「ニャーコさん?レストさんなら今寝ていますけど、どうしたんですか?」 

「今日、レストに入浴剤の作り方を教えてもらう約束をしてるッス!」

クロムは、奥で寝ているレストを振り返る。折しも、レストがゆっくりと身を起こし、「どうしたの、クロム…来客…?」と、つぶやいたところだった。

やがて、レストははっとした顔をして、あわてて洗面台に向かった。

「ごめん、ニャーコ、そのへんに座って待ってて!」とレストはニャーコに言う。ニャーコはため息をついて、部屋にあった椅子に座った。

いまだ状況がよく飲み込めていないフォッグとクロムは困惑するばかりだったが、敵とはいえ客人のニャーコを不愉快にしてはいけないので、クロムは愛想笑いを浮かべながら、「ニャーコさん、コーヒーでも飲みます?」と声をかけた。
 
 
 
「つまり、今日はレストがニャーコに入浴剤の作り方を教える予定だったけど、レストがそれをすっぽかした、と」

「ちょっと!すっぽかしたわけじゃないってば!」

ニャーコはクロムが淹れたコーヒーを少し飲んで、ため息をついた。「仕方のない奴っスねぇ、レストは」

最近の日曜日は、レストはニャーコと一緒にカフェやレストランに行く日が多かった。最初は、カップル限定のメニューを食べたいというので、レストがニャーコに誘われてついて行くという形だったが、やがて頻繁に二人で会うようになった。

先週の日曜日、二人がカフェで話しているとき、レストが作る入浴剤がアレクシアにかなり好評で、自分でも作れるようになりたい、とニャーコが言ったことが始まりだった。

「ニャーコにも作れるッスかね?」

「作れるんじゃない?素材は必要だけど、作り方自体はそんなに難しくないし。」

「それじゃ、ニャーコに入浴剤の作り方教えてほしいッス!」

「…は?」

「来週の日曜日、空いてるッスよね?」

「うん、まぁ」

「それじゃ、決まりッスね!ニャーコがレストのいる宿屋に朝に行くッスから、よろしくッス!」

そういうわけで今日、レストの部屋で、入浴剤を作ることが決まったのだった。

「そうだったのですね。でもレストさん、どうしてニャーコさんが来ること、僕達に教えてくれなかったんですか?」

「えー。だって、面倒くさいし」

クロムがニコニコして言った。

「あ、もしかして、恥ずかしかったとか?」

「違うって!クロムとかフォッグが何かするわけじゃないし、わざわざ言わなくてもいいかなって思ったの!」

レストはあわただしく、コーヒーを一口飲んだ。ぼんやりした頭に、コーヒーの苦みと香ばしさがしみていく。

その日のニャーコは、私服を着ていた。ピンク色のカーディガンに、白地に花柄の、しっとりしたシフォンスカート。ニャーコは仕事着であるメイド服を着ていることが多かったので、ニャーコの普段着はレストの目に新しかった。

それから、しばらく4人で雑談をしながらコーヒーを飲んで、時間がゆったりと過ぎて行った。柔らかい風がカーテンをひらひらと揺らし、光が窓辺にこぼれた。

「じゃ、そろそろやるか」

レストはエプロンをきゅっと締めて、台所へ向かう。ニャーコもあわててエプロンを着けて、台所に入っていった。

二人が見えなくなってから、クロムとフォッグはひそひそ話を始めた。

「…あいつら、あんなに仲良かったのか?」

「そうみたいですね…」

「ニャーコの奴、レストのことが…アイツ顔だけは良いからなぁ」

「ま、まあ、仲良くなるのは悪いことじゃないですし、温かく見守ってあげましょうよ」



台所に着くと、レストは必要な機材をてきぱきと整えていく。

「いつも通り、バスボムでいいよね。まず要るのは、重曹と、クエン酸と、塩。今回は少なめで、重曹はこれくらい、クエン酸も同じくらい。塩は、その半分くらいかな」

「普通のおしおでいいッスか?」

「いいけど、今回は岩塩を使う。ちょっとピンク色がついてるでしょ。入浴剤にも色が着いて綺麗だから、俺は岩塩を使うのが好き」

「こだわってるんスねぇ。今度、アレクシア様に頼んで岩塩を買ってもらうッス」

それから、ボウルや型等、あっという間に必要な器材と材料が目の前に並べられた。その手際の良さに、ニャーコは内心、感嘆した。

「じゃあ、ボウルに重曹とクエン酸と塩を入れて、混ぜておいて。俺は、香りを着ける精油を持ってくるから」

「精油?」

「作り置きの、幻惑の花で作ったやつ。他のやつがいい?」

「バラの香りのやつッスね。それで大丈夫ッス」

ニャーコはさっそく、ボウルに材料を全て入れて、手袋をして、ボウルの中のものを混ぜ始める。

同じ白い粉に見えても、粒のきめ細かさ、香り、手触りが違う。そこに、薄いピンク色の岩塩が入る。ほのかにレモンの香りが漂ってきた。

レストがやがて戻ってきた。小さな遮光瓶に入った、ピンク色の液体、それが幻惑の花から作った精油だった。レストは、それをスポイトで取って、一滴ずつ、ニャーコが混ぜた粉末の上に垂らしていく。

「いい香りッスね。これだけしか垂らしてないのに、すごく濃いバラの香りがするッス」

「精油だからね。数滴か、十滴くらいで十分」

それからレストは、スプレーでボウルの中のものに少しずつ、水を吹きかけながら、触る。「もうちょっとかな…」とぶつぶつ言いながら、水を吹きかけては、感触を確かめる作業を繰り返した。

「うん、こんなもんでしょ」

ニャーコは驚いた。作業を始めてからまだ一時間も経っていないのに、もう終わってしまった。

「もう終わりっスか?」

「うん、仕込みは終わり。あとは、型にとって、乾かしたらできるよ。仕上げとしてニャーコもやってよ」

バラの優雅な香りが充満する中、二人は型にはめ込んでいく。型からはみ出た分を、ニャーコは、丁寧に指先でそぎ取った。

「ニャーコってそういうところ細かいよね。メイドさんだから?」

「もちろんッスよ。細かいところも気を抜かない癖がついてるッス」

一通り型にはめ終わると、レストは全ての型を持って、部屋の隅のタンスの上に置いた。

「あ、終わったんですか?ほんのりバラのいい香りがしますねー。」

台所から出ると、クロムが明るい声で言った。

「そうだね。風が当たるところに置いといたから、夕方くらいには乾くと思うよ」

レストは椅子に座って、伸びを一つしてみせた。それから、エプロンを外して、丁寧にたたむ。

「レストは、手慣れてるッスねぇ。やっぱり、他の人にも、入浴剤を作ってあげたりするんスか?」

「いや。今のところアレクシアだけかな。まぁ普段から爆弾とか毒薬とかも調合してるからね。入浴剤なんてお安い御用だよ」

「とんでもないもの作ってるッスね…」



それから、4人は一緒に食事をして、入浴剤がまだ固まっていなかったので、大富豪大会をした。4人は飽きることもなく、夕方まで、わいわい盛り上がっていた。



黄昏が近づいてきた。レストはタンスの上の入浴剤に指で触れて、しっかり固まったことを確認した。

「入浴剤できてるよ」

「おおっ!」

ニャーコは、タンスの上の入浴剤を手で触って、なめらかな表面をなでる。いつもレストからもらっている入浴剤が完成したのだった。

「これ、全部もらっていいんスか?」

「いいよ。どうせ、俺たち男三人はあんまり使わないし。アレクシアにプレゼントしてあげて」

「わあ、ありがとうッス!今度、お礼してあげるッスよ!」

ニャーコは飛び上がって喜んだ。自分で作った(もちろんレストに手伝ってもらったのだが)入浴剤を、アレクシアに渡すことができるのが、ニャーコにとってはそれほど嬉しいことだった。

「それじゃ…今日はありがとうッス。クロムも、フォッグも」

ニャーコはお辞儀をして、レスト達の部屋を出ようとした。しかし、レストは立ち上がってニャーコに声をかけた。

「ちょっと待って。もう暗くなりそうだし、俺が送ってくよ」

「えっ。いいんスか?」

「うん。夜道は危ないからね。念のため」

レストは制服を羽織って、ニャーコと一緒に外に出た。



外は、初夏らしい温かさにも春の宵の冷気を余した、涼しい空気だった。日曜日の夕方はそれほど人通りも多くなく、静かである。

二人の影が道の上に長く伸びて、歩くたびに、もそもそと秘めやかに揺れた。

「あーあ、明日から仕事ッスねぇ」

ニャーコが独りごちた。

「アレクシアのために働けるのに、嫌なの?」

「そんなことはないッスけど。でも、ミスしないようにしないとッスから。疲れるッスよ」

レストはニャーコの横顔を見た。夕陽のせいか、ニャーコの顔は輪郭がきらきら光って、顔色が火照っているように見えた。

「あー、たしかに、神経使いそうだよね、メイドって」

「たまに、レスト達がうらやましい、って思うこと、あるッス」

「は?なんで?」

「だって、色んなところ旅をして、色んなことができるッスよね?」

「そうだけど。でも楽じゃないよ。魔物と戦うのは命がけだし、戦争に巻き込まれでもしたら、死ぬことも、覚悟しないとだし」

「レストが、そこまで覚悟しているようには見えないッス」

「はぁ…俺だって真面目なときは真面目なつもりなんだけど」

街の郊外に出ると、のどかな田園風景が広がっている。しばらく歩くと風が吹きつけてきた。ニャーコの髪がばさばさと吹かれて、リボンが夕闇の中で赤色というよりはむしろ、ボルドー色に見えた。

「…レストは、もうすぐ別の町に行ってしまうッスか?」

ニャーコは、自分の足元に目線を落として聞いた。

「まあね。今は街の人からの依頼をこなしてるけど、またしばらくしたら、次の街に行くよ。任務があるし」

「遠い街っスか?」

「うん。山を越えた、ずっと向こうだから」

「…そしたら、ニャーコとは会えなくなるッスね?」

「ん。そうなるんじゃない?」

ニャーコは深く息を吸い込んで、空を見上げた。赤い空の向こうには、夜空と、散りばめたような星がうっすら顔を出し始めていた。レストも、しょうがないな、とでも言いたげにため息を一つついて、ニャーコと同じように空を見上げた。

「せっかく、お前と仲良くなれたと思ったのに。残念ッスね」

ニャーコは、困ったように笑って言った。
 
 
 
アレクシアの館の手前には、原生林が広がっていて、中は暗く、流水の音だけが響いている。

「足元、気を付けてね」

「は、はいッス」

レストはさりげなく、ニャーコの手を握った。暗い原生林で、はぐれてしまったりしたら、大変だ。ニャーコにとって、細やかだが、芯があって力強いレストの手の感覚が新鮮だった。

原生林の奥に、アレクシアの館がある。フランス風の灯火が、ひんやりした光を館の白壁に投げかけていた。

「ふう、無事に着けて良かった」

「そうッスね。…今日は、いろいろとありがとうッス。アレクシア様も、喜んでくれるッス」

「それならよかった」

ニャーコは、にっこり笑って言った。

「お前、やっぱり優しいッスね。入浴剤の作り方も教えてくれるし。ニャーコを送ってくれるし。敵なのに」

「別に、入浴剤くらい、どうってことないし…女の子を送っていくのは当然じゃない?」

しばらくレストとニャーコは館の門の近くに立って、ニャーコはレストをずっと見ていた。ニャーコは微笑んでいたが、両手をきゅっと握っていて、何か言いだしたくても言えない、そんな雰囲気があった。

「…じゃ、俺そろそろ帰らないと。暗くなる前に、原生林は抜けたいから」

「そうッスね。…送ってくれて、心強かったッス。でも、忘れたらダメッスよ!ニャーコとお前は敵同士ッス!今度、アレクシア様とニャーコでリベンジするッスから、覚悟するッスよ!」

ニャーコの明るい目が、きらきらと光った。

「覚えとくよ」

レストはひらひらと手を振った。ニャーコは「それじゃ、ばいばいッス!」と言って、門の向こうに消えて行った。

レストは息を吸い込んだ。館の庭に植えてあるハーブの甘くて少しぴりっとした香りが、レストの胸を満たした。

新しい街に行けば、自分が作った入浴剤を喜んでくれる人とも会えなくなると思うと、レストはほんの少し、胸が苦しくなった。けれど、これも勇者という仕事のうちだ。レストは自分にそう言い聞かせて、帰路を急ぐ。アレクシアの館のハーブの香りが、残り香のように、不思議とレストの胸の中に漂ったまま消えなかった。

名前
件名
メッセージ
画像
メールアドレス
URL
アイコン
文字色
編集/削除キー (半角英数字のみで4~8文字)
プレビューする (投稿前に、内容をプレビューして確認できます)

Copyright © 1999- FC2, inc All Rights Reserved.